年末年始の話

あけおめ ことよろ
という言葉が流行っていたのはいつだったか。私はど真ん中の世代のはずだが。。
改めまして、
明けましておめでとうございます。

世間のサラリーマンと同じく、私の年末年始休業は12/29~1/3でした。
短いなー。。

私の年末休みは体調不良と共に始まった。
12/28、私の職場は大掃除の日だった。午前中から快調にお掃除。午後の2時に無事終了。
だがしかし、突然の異変は午後3時頃から始まったのであった。

猛烈な下腹部痛&吐き気&だるさ時々震え

ナニコレ。
昼食は普通に食べられたし、同じもの食べた人は体調悪くなってないし。
急いで“腹痛 吐き気”でググるも、出てくる結果は「食中毒」ばかり。

いや、この感覚は違う
と自己診断。でも原因は分からない。

午後5時、仕事を納めて論文作業の部屋へ移る。
引き続き体調は悪い。部屋は暖房で暖かいが体の芯が冷える感覚で寒い。震えてくる。

何でも持っている指導教員に体温計を借りて測定。
なんと微熱、37.5度。
e?ナンデ?

通常の体温が36度以下の私にとって、この体温は微熱の範疇ではない。
この体調では家に帰れなくなる可能性もあり、早々に論文作業も納めて帰宅の途についた。

職場付近まで彼が迎えに来てくれ、フラフラしながらなんとか家につき、
速攻で葛根湯服用、そして就寝。
午後9時前に寝るとか・・・何年ぶり?

寝込んでいる訳には行かなかった。
なぜなら、翌日12/29から2泊3日で彼の地元へ一緒に帰省することになっていたのだ。
そして12/31から自分の実家へ1泊も決定事項だった。

なぜ、、、こんなにも盛りだくさんの年末、、、?
ゆっくりのんびりジャージ姿で家に居たいのが願望なのに。

かくして、葛根湯の力を借りて一晩で全快になり、全ての年末年始予定をこなした。
私、頑丈。

クリスマスだった話

昨日から通常モードだったとはいえ、先週末はクリスマスだった。

例年、クリスマスといえば昼間にデートして夜は家に帰って家族とご飯、というのがパターンだった。
なぜなら、12月25日は父の誕生日だからである。
私がクリスマス誕生日ケーキを買って帰る、これが通常。

でも今年は初めてのパターンだった。(海外滞在時は除く。)

24日も25日も、ずっと、彼と一緒。
24日はイルミネーション見に行って、
25日には彼が予約してくれていたクリスマスディナー。

リア充か。

リア充だな。

正直、同棲中なのだから彼とは毎日一緒にいるわけだが。
でも、彼がレストランの予約をしてくれてご飯に行く、っていうのは実は人生で初めてだったりする。。
(今までに私が予約することはあったけど、私の知らないうちに予約してくれたのは初。今までの彼氏の中で初めて。)

白状すると、すっっごくうれしかった。
私幸せ者だなーと。

一方、家族には23日に会いに行って、一足早めのケーキとプレゼントを渡した。
25日に会えなくてごめんね、とすごく申し訳なかった。
家族は理解を示してくれたけど...ごめんね。ありがとう。

これからの時間、あと何年・何回、両親と時を過ごせるのか、これを考えると涙が止まらなくなるので、とりあえずは横に置いておく。

とにもかくにも、
私は幸せだ。本当に幸せ。

長すぎた春

トイアンナさんに共感だなーと思った深夜2時半。
toianna.hatenablog.com

なぜか、少し前の恋愛を思い出した。

私は2年半前から去年まで海外へ旅立っていたわけだが、旅立つ時には付き合っている人がいた。付き合って4年目の人だった。
彼は一言で表すと〈ストイックな向上心の塊〉って感じの人で、
チャラけるときもあったけど基本的には真面目ないい奴だった。

元々仲の良い友達だった彼と付き合って1年目の時、大ゲンカした。
正直もうダメかも、と思うほどの。
でも逆に「3年目を目安に結婚を考えてるくらい、真剣」という言葉とともに仲直りした。
今思えば、なんで3年目...?という感じだが、当時は嬉しかった。

さらに2年経ち、付き合って3年目。結婚の話はどこかに置き忘れてきたようだった。
彼は脱サラして大学へ行き直すべく、受験勉強の毎日になっていた。
すれ違うことも多く、週1で会えれば良い方な生活。
私は“彼にはやりたい事を思う存分できるようになってほしい”と思い始めていた。
彼の事が好きだったから。

私の方が2歳年上でアラサ―だったこともあり、
自分が彼の近くにいることは彼の人生の妨げになる、と盲目的に思ってしまっていた。

だから、少し距離を置きませんか、と言ったら、
嫌だとはねのけられた。そしてそのまま付き合いは続行。

そこにきての語学留学とワーキングホリデー。
私自身もやりたかったこと&しばらくの間彼を自由にさせてあげられる。これってWinWinなんじゃ、、、
私の頭の中ではピコーンっとランプが光った。

そうして、付き合って4年が過ぎたとき、私は海外へ行った。
自分自身と彼のために。
でも、最後に日本で彼と別れた時、
「あぁ...この関係性で会えるのはこれで最後になるかもしれない」と悟って泣いた。

事実、海を隔てた状況で私達は別れた。私から別れを切り出した。
あと少しで5年目の節目になるはずだった。

日本に帰国後、ほどなくして友人として何度か食事に行ったり遊んだりした。
相変わらず良い奴ではあったが、“いま付き合いそうな感じの子がいる”という話を聞いてブルーにもなった。

彼は希望の大学に合格し、東京から引っ越して行った。
引越し前夜に彼と最後に話をした時、
「帰国後にやっぱり元に戻りたいと言えば、戻れたのに」と言われ、
「でも、もう、前に言ってた子と付き合うことにしたんだ」という報告もされた。
極めつけは「俺みたいないい男振るなんて、もったいないことしたな」とすかされた。

最後の最後にムカついたけど、彼なりの強がりだったのだろう。

今も極々たまにメールをするけど、彼女と幸せそうで何よりだと思う。

今年の2月に仕事を変えた話 その3

今年の2月からはずっと大学での作業をしている。

  1. 日中は某事業の研究員。
  2. 夕方(夜)から論文書き。

作業をする部屋も隣同士という事もあり、移動も楽。
仕事も裁量労務制だから、ちょっと仕事を抜けて論文書き、という事も出来なくない。

こう書くと相当良い環境に思える・・・

しかし、精神的に参ることの多い日々だ。
仕事場には私以外にも事業スタッフがいた。(今年の6月で突然辞めたから過去形。)
その人はどうも私のことが気に食わなかったようだ。
私の仕事に対する姿勢とか(真面目にやったよ...)、
性格とか(初見な性格の方だった...)、
全て。

私はそういうのを感じ取っていたけど、仕事だと割り切っていた。
でも突然辞めた。しかも超絶忙しい時期に。
狙ってたのかな・・・私が困るのを・・・

しかしながら、そのおかげで仕事を進めるのが早くなったし、慣れた。
正直、全然困らなかった。
残業代ゼロの残業を沢山したけど、そんなに苦じゃなかった。
何より”隣にいるストレス源”が無くなったので(悪い言い方だが。。)気持ちは楽になった。
だって、過呼吸になっちゃったし、鬱を再発してしまいそうだった。

ほどなくして、後任の人が来たけど、
辞めた方よりは一緒に仕事がしやすい。(この方も特異ではあるんだが・・・)

ところでこの仕事は来年3月までの契約である。
4月以降は継続しないことにした。(だって予算の都合上、半年以上も無給で働かされるし・・・それはツラすぎる
だから転職を考えなければならない。
何の仕事しようかなー

一方で論文は相変わらず進みが遅い。
カメさんのスピード。。でも一歩ずつ進めるしかない。自分と指導教員を信じよう。
来年3月までにはすべてが修了しているはずだ。

(おわり)

気持ちが沈むこともある。

誰にでもそういう日はある。

  • 電車で足踏まれたとか
  • 会社で何か言われたとか
  • 理不尽が降ってきたとか
  • 良かれと思ったことが空回りしたとか

わーーーって叫びたいような、
ちゃぶ台ひっくり返したいような、
そんな気分になる日もある。

私はbot並の定期ポストで気持ちが沈む。
そんな時は

  • 何話かけられても「ふーん...。そうなんだー・・・...。」
  • 笑わない(笑えない)
  • 人と目を合わさない(合わせられない)
  • 電車に飛び込みたくなる
  • 自分の孤独さが辛くなる

定期的にこんな状態になるなんて、自分でも面倒くさい奴だと感じる。
しかし自分ではなかなかコントロールが上手く行かない。
周りの皆さんには申し訳なさの気持ちが募る。

辛いことあったら言っていいんだよ。
吐き出さなきゃ楽にならないよ。

そう言ってくれる人がいる幸せを私は心に留めておかなくてはいけない。
私と一緒に居てくれる人に感謝だ。

最近の振り返り

平日は通常モード。
18時頃まで仕事し、その後論文作業へ。

12/9(金)

金曜は久しぶりの華金。すなわちこの時期恒例の忘年会だった。
大学院時代の気の置けない先輩と同期、4人での飲み会は楽しかった!
近況報告や仕事の悩み相談。
全員が様々な状況にいるから、物事に対する様々な見方を学ぶことが出来る。
みんなと出会ったのは2008年、いまから8年前。
私にとっては、それぞれの環境は違えど、多くを共有できる貴重な存在だ。
これからもずっと繋がっていきたいと思う。

12/10(土)

前夜のお酒が残っていたのか、やはり昼まで寝てしまった。(土曜の通常モード)
近所のサラべスでブランチをとり、スーパーへお買い物に行って、お家でまったり。
こういう日も大事である。心地よい。

12/11(日)

茶道おけいこの日だった。通常は土曜にあるのだが、今月は変則的に日曜日。
おけいこの時間は日々の生活を見直す良い機会になっている。

なぜ茶道を習いたいのか。なぜ作法を学びたいのか。

日々の動作の中に「気持ち」「心」を入れる。

分かっているようで忘れてしまう。
心がけているようで疎かになってしまう。
気持ちを引き締めよう。

今年の2月に仕事を変えた話 その2

アルバイト先の会社は最高の会社だった。(これだけで社名がバレそう)
働いている人も素敵な方ばかりだった。仕事も徐々に慣れ、1番忙しかった(らしい)時期に仕事を手伝えて、私としても嬉しく、なにより会社に行くことが楽しかった。
しかし、私はアルバイト。
やはり正社員になりたい。安定したい。収入もアップしたい。
そういう気持ちは常にあった。

一方で大学でのバイトは通常モード。
ほとんどの時間を論文作業に当てることが出来ていた。でも進捗が遅い。
会社バイトの後に大学に寄って作業しても進捗が遅い。(途中からほとんど寄ってたな。。)
私の責任だけではない、と声を大にして良いたい。

私は、どこぞの会社で正社員(正規雇用)として採用されるためには”修了”するしかない、と改めて決めた。
もちろん修了しなくたって就職はできる。でも自分が許せなくなる。
一度始めたことを途中で投げ出すことは私が一番後悔する事象だ。

そんな時に、ある筋から仕事の誘いを頂く。大学での研究員職である。
正直な所、雇用主が一番のネックだった。色々と私がお世話になっている方と問題のある人だったために。
しかし、論文作業と並行して仕事ができる。(同じ大学内だし。)

とうことで、最高な最高な会社アルバイトを5か月で辞め、
今年の2月に大学へ移ったのであった。(会社アルバイトはもちろん引き続き在籍もできたが、ちょうど仕事のきりが良い時期でもあったのだ。紹介してくれた先輩には感謝の意を伝えきれない程感謝している。)
大学に移ってからは、

  • 契約社員みたいなものだけど大学の常勤職員扱い
  • 給与は正社員並み
  • 論文作業も仕事後にササッと始められる

というような環境となった。
つづく。